ISDEの歩みとISDE Tokyo Officeについて

井手 博子

世界の食道疾患の治療に関する研究者の誰もが参加可能な学会としてInternational Society for Diseases of the Esophagus (ISDE)は1979年に東京女子医大消化器病センター所長、中山恒明教授によって創設され、翌1980年に中山恒明教授会長のもと東京で開催された。当時年会費は20$であった。初回の成功に次いで第2回目はイタリアローマでG. Castrini教授により3年後に開催され、第3回は1986年、ドイツ・ミュンヘンでJ. R Siewert 教授によって開催された。この際、欧州の食道疾患研究グループ(GEEMO)と食道疾患統計的研究の国際機関(OESO)と連携して、ミュンヘンオクトーバーフェストの初めに開催されたので特に盛大に多くの参加者があった。この時点で中山教授は会長を辞し名誉会長になった。1986年第3回世界総会の際、将来のISDEの立位置に関しそれ迄あった欧米地区の関連学会に関し多くの議論がかわされ、これら関連学会もISDEの傘下に入ることがSiewert 教授よって提案され、井口潔教授が新会長に就任した。1987年正月にこれらの問題を続けて討議する会議がG. Castrini教授の支援によって開催され、新規約の必要性、学会誌の発行なども討議された。この間に井口会長はこの学会の国際的交流を高める目的で、日本の産業界からの資金誘致によるスカラーシップの創立、年2回のニュースレター発行の企画、学会運営に関する規約の作成等を精力的に行い、日本の東京女子医科大学消化器病センターに本部をおいて本格的に学会運営が始まった。学会誌“Diseases of Esophagus” (Masson出版社)の発行はイタリアG. Castrini教授のスタッフによって1987年に開始され、1992年からはドイツのSiewert 教授のスタッフのDr. H.Steinらに引き継がれChurchill Livingstone社から年4回の定期発行となった。1988年の理事会で名誉会長は中山恒明教授に続いて著明な食道外科医であるRonald H.R. Belsey教授とGuan Bee Ong教授の2名が推薦された。

より民主的に各国の代表幹事、理事会で運営され、決議された事項を総会で承認するISDEの新しい規約は1989年シカゴで開催された第4回総会会長David B. Skinner教授の時に承認されつくられた。その後も3年毎に世界総会が開催され、1992年第5回総会会長は鍋谷欽市教授が京都で、1995年第6回総会はイタリアミラノでPeracchia教授により、1998年第7回総会はカナダのモントリオールでDeslauriers教授によって開催されこの会は従来外科側の演題が多くを占めていたのに対し内科系の演題の増加がみられた。2001年第8回総会はブラジル、サンパウロでPinotti教授により開催された。この際の理事会、幹事会で外科系のみならず内科系の会員をも含める新しい役員構成も考えた規約を作るようにとMark Ferguson博士より提案された。1998-2001年ISDE会長だったDeemester 教授のもと1999年の理事会で外科医偏重のISDEがより多くの内科系会員を会に参加させるべく努力することを中心に規約改定を含めた検討がなされた。1998年New York Hospital での理事会により、Journal 発行は1999年からBlackwell Science社(現行)に移行。Journal発行等学会運営に多額の費用が要ることでNews Letterは費用削減のため、Journal内に組み込むことがSiewert教授により提案され実行に移された。2001-2004年のISDE会長はLerut教授で、2003年5月フロリダのオーランドで行なわれた理事会ではJournal の最初のImpact Factorが0.424であったこと、正会員が756名であることが報告され、北米の医師が主に企画し、事務局に提案された新しい規約をFerguson博士が説明した。即ち新規約がISDEの目的が食道のすべての専門家を代表し、非外科系および外科系専門医が均等に役員を担当して会を運営することが強調された。即ち会長、及びその他の役職が外科医と非外科医の間で2年毎交互に担当するという提案がなされ、その時以来実行に移されることになった。したがってISDE総会は2004年以降は2年毎に開催、総会会長は内科系、外科系の2-3名が協賛して開催となった。更に2003年パリで行なわれた理事会では今後の良性疾患を主に専門とする内科系医師を多く勧誘する目的で2005年以降25年続いた日本の事務局本部はロスアンゼルスのDeemester教授の元に移転し、Journal 編集長もMayo Clinic のDeschamps博士(外科系)、Wang博士(内科系)に変更、2005年から年6巻発行することが決まり、 2004年第9回総会はスペイン・マドリッドでMoreno-Gonzalez教授によって開催された総会で承認された。なおその際、ISDEの正会員で日本人会員が250名以上を占めることから現ISDE 事務局はISDE Tokyo Officeとして残り主に邦人会員のサポート、ニュースレター発行業務などを続けて行なうことが承認された。そして、ロスの本部事務局ではホームページを作成。規約、役員、会員募集、その他の情報を発信することになった。これらは2004年第9回総会はスペイン・マドリッドでMoreno-Gonzalez教授によって開催された総会で承認された。

この間日本での学会本部は1986-1989年は井口教授が会長として、1989-1998年は事務局長として運営し、続いて1998-2004年は渡辺寛博士が事務局長として本部事務局運営に大きく貢献し、スカラーに関しては日本産業界からの総計1.500.000$の援助金を受け、総計77名の受賞者に国際交流の機会を与えた。また1987年以降ニュースレター委員会は渡辺寛先生を委員長として、在東京の有志数名、敬称略(貴島政巴、鶴丸昌彦、安藤暢敏、河野辰幸、宇田川晴司、井手博子ら)、秘書の田代恵子女史、増淵明子女史等が毎月大学に集合、編集会議、運営会議等を行なってきた。これに加えて1986年第3回ミュンヘンの総会以来永年にわたる各種委員会、情報発信、ニュースレター編集などISDE学会運営に語学面で種々のサポートを東京医大、国際情報医学教室のJ P Barron教授に依頼し、教授の多大な支援のおかげで事務局運営が国際的に円滑におこなわれたと言える。(ISDE Tokyo Officeに対するBarron教授のサポートは2014年現在も続いている。)

また、2002年学会正会員の年会費(当時150$)では大幅に不足し、Journal 発行や事務局運営には日本企業の賛助金に頼らなければならなかったため、渡辺事務局長が東京都にNPO法人の申請を行ない「NPO法人国際食道疾患会議」の認定を2002年に得ることが出来た。この結果日本に於ける本部事務局は活動の基盤をつくってきた時期に、2005年より日本の事務局はISDE Tokyo OfficeとNPO法人国際食道疾患会議と合体してISDE 本部情報の広報活動、日本人会員のサポート、ニュースレター発行業務、国際交流を目的としたスカラー事業などを行なって現在に至っている。

2005年以降新しい規約のもと、ISDE会長は2年ごとに内科系、外科系が交代し、総会の演題も欧米で関心が持たれている、GERD, Barrett食道癌等の演題が多くを占める様になった。2010年の第12回ISDE総会(愛甲教授担当)はTokyo Office事務局も”History of ISDE”の資料提供を分担し、盛会に大成功で終わった。近年ISDE総会では我が国の大半を占めるSCC食道癌の演題が余り取り上げられないなどもあり、一時は300名以上日本人会員が2014年度には90名と激減、欧米の内科系会員の倍増もさほど成功はせず、2014年には一時750名以上いた会員は現在430名前後に激減し、本部事務局は2012年以降ロスからカナダの現在の本部事務局に移転し、徐々に会員数を伸ばしている。

2005年ロスに事務局本部が移った後、ISDEのロゴは富士に桜のマークから地球儀マーク、更に2011年以降現在のマークに変更になっている。

ISDE Tokyo Office / 事務局長 NPO 国際食道疾患会議理事長
          東京女子医大名誉教授 井手博子